中山道線から東海道線への変更

 東西両京を結ぶ幹線鉄道は中山道に建設される予定でした。明治3年6月の調査で東海道は船便があり、街道の輸送も発達しているので鉄道の利用はきわめて低く、中山道に建設することが望ましいと報告されました。

  その後、イギリス人建築師長ボイルは明治7、8年の再度に渡り中山道を調査して同様の結論に達し、明治16年に中山道幹線建設が着手されることになりました。

 しかし、中山道の難工事を予測した井上勝鉄道局長は、明治18、19年に東海道に鉄道局職員を派遣し、別途測量を行った結果、平坦地の少ない中山道では完成までに多大の年月を要し、建設費においても東海道と比べて多額に上ることが確認されました。

  これを受けて内閣総理大臣伊藤博文は明治19年7月19日に中山道から東海道に変更を公布したのでした。  (日本国有鉄道百年史 第2巻)